▼ 歌詞
昭和20年「惜別の唄」  
唄:小林旭  作詞:島崎藤村  作曲:藤江英輔


「惜別の歌」は昭和20年、中央大学出身の藤江英輔が召集令状(赤紙)がきて応召する学生を送別するため、惜別の意をこめて「わが友よ」と変えて朗読し見送ったとされます。
画面には神宮外苑で行われた有名な「出陣学徒壮行会」のフイルムが映っていますが、何やら北朝鮮を彷彿させます。多くは白木の箱となって帰還しました。
元になっている島崎藤村の若菜集にある「高楼」は嫁に行く姉に妹が別れを告げる言葉で全文ひらがなで書かれています。
とほきわかれに たへかねて このたかどのに のぼるかな かなしむなかれ わがあねよ たびのころもを とゝのへよ
昭和25年に初めてレコード化されました。その後、多くの歌手が歌唱しています。藤江の詩には4番もありますが、何故か歌われることは少ないようです。この動画は小林旭の歌唱ですが日活が映画化したときの録音と思われます。
島崎藤村は信州馬籠宿の本陣の生まれで小説「夜明け前、破戒」や詩集「若菜集」で知られますが「若菜集」では「初恋」が特に有名です。
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり と言う下りです。 馬籠のある山口村は岐阜県の所属となる異例の合併がありました。変更になる以前から 山口村自体が既に二分割され馬籠のある北半分が長野県に属していましたが利権に執拗な平成の信州人は藤村とその歴史を切り捨てました。
だからといって、藤村が岐阜県人になったわけではないと思います。
私は、馬籠が岐阜県になってからは出かけていません。
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