▼ 歌詞
昭和29年「岸壁の母」  テイチク・レコード  
唄:菊池章子  作詞:藤田まさと  作曲:平川浪竜


昭和29年9月発売と同時に日本中を感動の渦に巻き込み100万枚以上の大流行となりました。モデルとなった端野いせは東京に住んでいましたが息子の復員を信じて昭和25年1月の引揚船初入港から6年間引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立ち息子を待ち続けました。
藤田まさとは直接、端野の話を聞き母親の愛の執念への感動と戦争へのいいようのない憤りを感じて即座に詞を書き上げました。平川浪竜は徹夜で作曲し重役に試聴させたところ誰も返事をしませんでした、みな感動に涙していました。
菊池章子は放送や舞台で披露する際も涙が止まリませんでした。菊池は「もしやもしやにひかされて」という歌詞通り生死不明の我が子を生きて帰ってくると信じて東京から遠く舞鶴まで通い続けた母の悲劇を想えば涙がこぼれます」と語っています。
菊池はレコードが発売されたとき、端野いせの住所を探し「私のレコードを差し上げたい」と手紙を送りましたが端野の返事は「もらっても、家にはプレーヤーもないので、息子の新二が帰ってきたら買うからそれまで預かって欲しい」というものでした。菊池はみずから小型プレーヤーを購入し、端野に送ったと言うことです。
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昭和47年にはキングレコードから二葉百合子が浪曲調で吹き込んだ再版曲が250万枚の大ヒットとなりました。
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